震災の終わりはほど遠いのですが、がんばりたくてもがんばれない人が数万人もおよぶこの災害。

そんななかこのような記事がありました。

南三陸町の遠藤未希さん「流される瞬間まで町役場で防災無線で呼びかけ続けた女性職員」

「早く逃げて!」と流される瞬間まで防災無線で町民に呼びかけていた遠藤未希さん(25歳)。

(リンクが切れることがありますので記事を転記させてもらいました)
遠藤未希(みき)さんは町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎3階に残り、無線放送を続けた。 難を逃れた町職員によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。
街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅。
多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいました。
町危機管理課職員の遠藤未希(みき)さん。
遠藤未希さんは、地震後も役場別館の防災対策庁舎3階に残り、無線放送を続けた。
難を逃れた町職員によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が
町役場を襲った。助かったのは10人。
庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。

地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。
 芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。

 芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」


「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」
母親の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。

遠藤未希さんが無線で避難を呼び掛け続けた防災対策庁舎。赤い骨組みだけが残っている。

これ以上何も書けませんが皆さんにも見ていただきたくてこちらに転記記事を作らせていただきました。

もう一つ。今日本がタイトロープを渡っている原子力発電所。
今もなお命がけで人々を守っている方の記事がありました。

被曝の恐怖、余震…真っ暗な建屋で決死の作業

これを読んでいたら、テレビで見る”批判な的な発言”は言えないと思いますね。